富山和子ご挨拶

日本の米カレンダー2017年版ができました。28年目です。
農は文化である。農業は経済活動でもあるが、文化です。

この当たり前のことが忘れられていると,近頃思わずにはいられません。本当に、これでいいのでしょうか。


<日本海文化論について>
  かつて「日本海側こそ表日本だった」と書いたのは、1954年、雑誌『文芸春秋』に『水の文化史』を連載したときでした。よほどのショックだったのでしょう。反響は大きく、それまで「表日本」「裏日本」といっていたものが、いつの間にか公用語からもテレビの天気予報からも、むろん日常語からも消え、「太平洋側」「日本海側」となったのです。
  例えば奈良や京を養った荘園の主役は、北陸にありました。九頭竜川や荘川です。
また古代から中世にかけての海事法規集『廻船式目』には、日本の十大港として三津七湊の名が挙げられています。三津とは伊勢安濃津、筑前博多,和泉堺ですが、あとの七湊は北陸と東北の日本海側で占められています。即ち越前三国、加賀本吉、能登輪島、越中岩瀬、越後今町、出羽秋田、津軽十三湊 です。いずれも米の積み出し港として栄えたのでした。
   江戸時代になり、太平洋側が一挙に開けた幕末にあってさえ、江戸に集まる米100万石、大阪に集まる米180万石、そのうち120万石が出羽北陸の米でした。
   私の日本海文化論はこうして始まります。この思い切った理論が発表されると、やがて堰を切ったように、種々の研究者たちによる日本海学が出始めるのでした。詳しくは『水の文化史』 (中公文庫)をご参照下さい。一月、七月、十二月などは、その思いも込めて書いています。

<フォレストピアについて>
  この構想は昭和61年、宮崎県知事松形祐堯により始められたものでした。氏は林野庁長官出身であったことから,森林の持つ大きな恵みと山村文化を、いかにして次代に渡していくかに心を砕き、この企画を県政の一つとして打ち出したものでした。1500メートル級の山々に囲まれた急峻の地。伝説や伝統文化の宝庫。下界と隔絶した中で人々は助け合いながら、独自の山村文化を守って来た、そういうところでした。
  いくつもの特徴がありますが,例えば諸塚村の木材生産の杉林とシイタケ用のモザイク林。杉の人工林には絶滅危惧種のクマガイソウが生息するなど希少動植物のすみかであり、またそこで生産されるシイタケは世界で唯一CoC認証(加工・流通過程の森林認証)を受けています。
  例えばまた、道路網や水路網の建設は、住民自身によって行われています。林内路網密度は日本一。山肌を縫う総延長500キロを超す灌漑水路網は、1800ヘクタールもの棚田を造成させることになるのですが、その道路も水路も、行政から独立した自治組織で行ったものでした。
  そんなコミュニティの団結力は、伝統文化によっても高められています。神話と結びついた神楽など、集落をあげて神に収穫の感謝と来年の豊作を祈願するものです。 
  また1994年日本初の公立中高一貫校を設立、林業を中心に据え、山村の伝統文化を受け継ぎながらの教育が行われています。全寮制ですが、地域の人達が見守りながらの、地域ぐるみの教育です。
  こうして松形知事の提唱から30年。フォレストピアは着実に実りをあげ、世界農業遺産に認定されたのでした。

  たくさんの読者のご声援、有り難うございます。
農は文化である。このこと忘れないでとひたすら願いつつ,ペンを擱きます。



2016年秋 水の文化研究所 富山和子

2018年版のためのメッセージは、後日の掲載を予定しております。


トップへ戻る